このギョッとするようなタイトルは週刊誌の見出しではない。
2015年度アメリカ金融学会会長就任講演のタイトルである(英文は“Does Finance Benefit Society?”)。会長就任者はシカゴ大学のジンガレス教授で、50代前半の働き盛りである。
アメリカ金融学会の会長就任講演といえば、ハーバード大学のジェンセン教授のそれを思い出す(1993年度)。すでに20年前以上のものだが、ジェンセン教授がそこで強調したのは、「成熟した大企業は、斜陽化しても、なかなか内部から転換する動きが出てこない。
しかし株式市場は、企業業績が悪化すれば、株価が下落するから、それが大企業の経営陣に修正圧力となる。したがって株式市場を健全に保つことが、資本主義の発展を支える重要な鍵だ」ということだった。
これは今の日本の保守党政権に聞かせたいような主張だ。
株式市場を人為的に操作すると、こうした市場の発信する警告が大企業経営者に届かないことになる。重病人に熱さましを飲ませて、体温を抑えているようなものだ。
さてジンガレス講演に戻ろう。彼の主張は明快である。
・金融業が経済活動にプラスになるという論拠は、いろいろ挙げられている(経営リスクの軽減、有効な価格シグナルの提供[これは上のジェンセン説につながる]、情報の非対称性の解消、経済成長の促進など)。
・しかし経済実務家(ここでは英国エコノミスト誌の読者)の半数近くが、金融はアメリカ経済に負の影響を持つと考えている(3割がプラスの効果を持つと回答)。特に金融危機以降、アメリカ人の金融業に対する信頼は地に落ちている。これを無知なポピュリストの妄言と決め付けるわけにはいかない。
・たしかに過去40年間、金融業は、金融工学等によって複雑化し、成長してきたが、それが社会のプラスになったという、理論的、実証的根拠はない。
わかっているのは、金融業がレント・シーキング(特殊利益追求)をしてきたことだ(レント:独占や寡占によって得られる超過利益のこと)。金融機関では、私的リターンが社会的リターンを大きく上回ってきたようだ。ソロス氏が英国ポンドに仕掛けた仕手戦で、彼は10億ドルもうけたが、その社会的リターンは定かではない。
・アメリカでは、ロビー活動のおかげで、裕福な金融家が政治的な保護を受けることはたやすい。しかし大衆の支持がなければ、健全な金融業は運営できない。
・金融業と医療には共通点がある。
ともに情報が非対称で、しかも先進国社会においてその経済的比重が高まっている(2012年に医療のGDPに占める割合は18%、金融業は8%)。ともにロビー活動では上位に来る(2014年に金融業は3.7億ドル、医療はほぼ同額を支出)。
医者にはヒポクラテスの誓いがあるが、金融業にはそれがない。
・金融業では素人だましが横行する。これは金融工学の技を使って仕組み債などの形をとる。素人は何を買わされているのかがわからない。これは国レベルでも同じだ。ギリシャは金融工学と金融業の力を借りて、財政赤字を少なく見せ、ユーロへの参加を容易にした。
・こうしたことには、金融学者も絡んでいる。
アメリカの半政府機関であるファニー・メイやフレディ・マック(日本の住宅金融公庫のようなもの、ともにリーマンショックで経営危機に陥る)は、データ利用を自分に都合の良いことを書く専門家のみに限り、また住宅問題を扱う学会誌を財政支援し、自らに不利な論文は載せないようにした。こうして学者は、「両者が金融危機に陥る可能性は50万分の1に過ぎない」と分析した(2002年)。
・こうした状態に関して、専門家ができること。
①内部告発、
②きちんとした事後的な費用効果分析を行うこと、
③相手の利害を忖度せずにきちんとした理論的分析をすること、
④政治的影響などを考慮した分析をしないこと、
⑤やたらに精密な分析で素人をだまさないこと、
⑥教育現場で、ヒポクラテスの誓いではないが、「正直基準」をたたきこむこと。
・金融の専門家は、金融業の代弁者ではないことを、身に刻むことがもっとも重要である。
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特にコメントは必要ないだろう。金融学会の会長といえば、たとえば日本なら日銀や財務省と親しく、金融業が持つ負の側面などからは目を背けがちだろう。日本の経済学界が、銀行関係の支援を受けていたという話は、学者から聞いたことがある。学者の腕のよさと正義感とがうまくかみ合うとき、おそらく優れた分析が可能になるのだろう。
(参考文献)
Zingales L., ”Does Finance Benefit Society?” , Preapared for the 2015 AFA Presidential Address. Jan., 2015
Jensen M.,”The Modern Industrial Revolution, Exit, and the Failure of Internal Control Systems”, The Journal of Finance, July, 1993.
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