新聞の役割
2017.04.29
筆者は仕事柄、海外紙を毎日読んでいる。その一つウォールストリート・ジャーナル紙(以下WSJと略す)は日本語版があるので,読むのに便利だ。英語で読むより日本語で読んだ方が頭に入りやすいからだ。
しかし最近になって気になることを教えられた。それはWSJは、日本語版と英語版とで内容が異なるという指摘だ。両版で示される記事の種類が異なることは,あり得る。日本の読者とアメリカの読者では関心の持ちようが異なるからだ。問題はそうではなく、同じ記事の内容が異なっていることだ。
それはWSJ紙の2017年3月31日付の社説だ。日本語版のタイトルは「失速する日本の安倍首相」であり、英語版ではそれは"Abe Loses Momentum"となっている。
問題は英語版で入っている記述が,日本語版では説明なしに削除されていることだ。主な点は、
①安倍首相夫人がそこでの講演で,その幼稚園のカリキュラムを誉めたこと、
②籠池氏が、安倍首相の名前を出して小学校の土地買収に関する自民党への陳情工作を行ったこと、
③稲田防衛大臣の議会における間違った証言、
などである。
この記事は、WSJ紙の社説である。したがって英語版の全訳を日本語版でも載せるべきだったろう。これにつけて思い出すのは、ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙の日本特派員だったゲルミス氏の、日本を去るに当たっての外国特派員協会における講演だ。
アルゲマイネ紙は,同氏によれば政治的には保守、経済面ではリベラルで、いわゆる左翼紙では無い。しかも彼自身、”日本への愛情は揺るぎない”と述べており、いわゆる日本叩き論者ではない。
ゲルミス氏は,安倍首相の歴史修正主義にたいし,常に批判的な立場に立ってきたという。この立場で記事を書いたところ、日本の外務省から直接攻撃されただけでなく、ドイツ本国の新聞本社への攻撃もあったという(フランクフルトの日本総領事が、同紙の外交担当デスクに「東京」からの異議を伝えた)。
問題は、議論の中身と言うより、こうしたことを日本の役所が政治家の意図を体して外国メディアに行うと、そのマイナス効果は計り知れないということだ。特に外交を担当する外務省がこのようなことを行うとは、ちょっと信じがたい。
よく言われる小話に、「第二次大戦中、イギリスのラジオを聞いていたら、コメディアンがチャーチル首相のことをおちょくっていた」というのがある。戦時中ですら、主流と異なる意見を言っても、それが苦笑とともに許されるのが,成熟した民主主義国家というものだ。日本のリーダーが異論を受け止める度量がないと、海外の真の友人を失いかねない。
新聞の役割はこうした意味で大きいはずだ。多様な意見を、時の主流に流されず、示していくことに、その意義がある。政治家の意図を”忖度”して自主規制を行うなら、それは新聞の緩慢な終わりを意味するだけだろう。
(参考文献)
1) WSJ,"Abe Loses Momentum", March 31,2017
2) Germis C.,"Confessions of a foreign correspondent after a half-decade of reporting from Tokyo to its German Readers",ECCJ,Number 1 Shimbun,Apr.02,2015
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