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大震法の改定に思う

大震法の改定に思う

  2017.10.14

 少し前のことになるが(2017年8月)、大震法の見直に関する記事が新聞に掲載された。大震法は,東海地震を念頭に置いたもので1978年に制定された。それは、地震の予知可能性を前提として、東海地域に観測網を設置し、それによって地震の前兆を見いだし、早期警戒につなげようというものだった。このため駿河湾近辺に細かな観測網が設置され、それに投下された費用は3000億円にも上るという。今回の大震法の改定はこの前提を見直すもので、新聞記事によれば、「予知は原理的に難しいこともわかってきた」からだという。

 

 しかしこの記事は勉強不足の記者が書いたものだ。なぜなら地震予知が不可能なことは、地震学者のあいだでは昔から常識だったからだ。たとえば最近定年退官した東大教授のロバート・ゲラー氏は、「『地震は予知できる』という願いは妄想だと断言できる」と2011年に述べている(ゲラー氏著書、77ページ)。それは地震の起きるプロセスが「複雑系」に基づくからだ。わかりやすく言えば、将棋倒しのゲームを思い出せば良い。これは、将棋の駒を積み上げておき、各人が一つずつ駒を抜き取っていき、積み上げた山が崩れたとき,抜いた人が負けになる。これがゲームになるのは、将棋の山がいつ崩れるかがわからないからだ。これは物理学では”砂山ゲーム”といって有名な現象だ。

 

 地震の場合もこれと同じで、「複雑系」に従う場合、いつどこでどれだけの規模の地震が起こるかは、基本的にはわからないことになる。

 

 しかも問題なのは、地震学者はこのことを昔からよく知っており、カメラとマイクのないところでは、予知が不可能であることを認めるという。

 

 ではなぜ地震予知可能性の幻想が、これまで数十年も国家規模でまかり通ってきたのか。それはゲラー教授によると、研究計画では予算が1000万円単位でしかつかないが、実施計画とすると億単位の予算がつくからだという。つまり予知できるとすれば、それの対策に莫大な金を投じることができるからだ。学者と担当官庁の予算獲得のために、地震予知の幻想が利用されたことになる。今回の大震法の見直しは、この点が修正されたにすぎない。

 

 これにつけても思うのだが、日本の場合、おかしなことが起こっても、それが修正されるまでに”無限の時間”がかかる。最近の例でも、東芝や神戸製鋼など日本の企業の惨状が日々報道されている。関係者は問題の所在をずっと前からわかっていたはずだ。しかしそうした問題点を企業内で指摘すれば、本人の出世の見込みはなくなる。しかし関係者が、皆しらんふりをすれば、結局本体が崩壊することになる、結果として日本企業に対する世界の評価は地に落ちることになる。

 

 日本経済が食べていくためには、日本企業が世界で稼ぐことが必要だ。よく成長可能性について潜在成長力などが云々されるが、これはマクロ経済という狭い枠組みで考えているからで、日本経済の成長は、生産活動を担う日本企業が世界市場でどれだけがんばれるかで決まってくる。日本企業のスキャンダルが報道されるにも関わらず、不思議なことに成績簿であるはずの日本の株価は高値を維持している。

 

 アメリカ金融学会の泰斗であるジェンセン教授が喝破したように、株価は人間の体で言えば、体温のようなもので、それの変化が経済の体調をしめす重要な指標となる。熱が上がったとき、それを無理やり解熱剤などで抑えると本当の病気の兆候を見逃してしまう。株価も同じだ。人為的な株価の維持は、問題点の浮き彫りを妨げる。日本の株価維持は、日銀介入の影響が大きいという。一説によると、日本企業のかなりの部分で日銀が実質上の筆頭株主になったところがあるそうだ。

 

 こうした人為的な株価の維持は、日本経済の真の病状を見えなくする。何らかの形で、株価が維持できなくなったとき、日本経済の実情がはじめて表に出て、皆が愕然とするという事態は避けたい。かってバブル景気とその崩壊という現象が日本に生じた。それをモデル化した者のとしては、現在の株価の高値安定は、その後の経過が気になる。

 

 ちなみに今回、なんらかの形で日本経済が失速したらどうなるかは、e予測の「失速ケース」で扱われている。

 

(参考)

朝日新聞、「『予知型』40年ぶり転換」,2017年8月25日

ロバート・ゲラー、「日本人は知らない『地震予知』の正体」、双葉社、2011年

Jensen M.,”The Modern Industrial Revolution, Exit, and the Failure of Internal Control Systems”, The Journal of Finance, July, 1993.