成長戦略の意味?
2018.02.24
いまや少し陰りの出てきたアベノミクスだが、相変わらず成長戦略が3つの矢の一つになっている。
話が少し飛ぶが、経営学者の三品和広氏の本を読んでいたら、この問題に関する面白い問題提起がなされていた。三品氏はハーバード出だが、単にアメリカ経営学の伝道者にとどまらず、自分の頭で問題を考えられる、日本の学者としては希少な存在だ。
彼の本の節タイトルは、「何が何でも成長戦略?」(1章2節)である。ただしここで対象になっているのは企業の成長戦略であり、国家の成長戦略ではない。
しかし三品氏の議論は、マクロの成長戦略にも当てはまる。彼がここで指摘しているのは、「因果関係のねじれ」である。言い換えれば、成長は結果にすぎない。それは多くの企業が、リスクを取って新分野などに進出し、新製品の開発に成功した結果だというのだ。つまり成長が原因ではなく、結果にすぎないということになる。
たとえば日本経済は1950年代後半から1970年代初頭に掛けて高度成長を遂げたが、これはたとえていえば、ホンダのスーパーカブ(小さなオートバイで今も売れている)やソニーのトランジスタ・ラジオ(最初にトランジスタが発明されたときには、この石はラジオなどの高周波には使えないと思われていたのを、ソニーがその壁を打ち破った)のおかげだ。高度成長があってホンダやソニーが伸びたわけではない。
これは経済学で言うと、エグザンテ(ex-ante、事前的)とエグズポスト(ex-post、事後的)の違いということになる。この概念はミュルダール(1974年ノーベル賞)が最初に提起した(1939)。これを用いると、経済成長はエグズポストな概念であって、エグザンテな概念ではないということになる。だとすると、成長戦略という言葉は、おかしなことになる。事後的な結果を事前的な手段として使おうとしているからだ。
この問題は根深い。今から50年ほど前になるが、1970年代になって、経済学の分野では成長論が盛んになり、それが内生的技術進歩論につながった。しかし最近になってアメリカの経済学者ゴードンが、豊富な史料に基づいて示したように、1世紀に及ぶ先進国の経済成長は終わりに近づいている。こうしてみると、一時はやった経済成長論は、単に長く続いた経済成長の後付け議論でしかないことがわかる。
経済成長と資本や労働などの関係は、すでにロシュリン・クリーによって指摘されている(1997)。そこでの議論によると、資本と労働と技術進歩が投入されると、GDPが増える(生産関数アプローチ)というのは正しくない。むしろ逆で、GDPが増えると、投資が増え、労働力の投入が増えるのだという。つまり成長とは三品氏の言うように、結果であり、資本・労働・技術進歩などを使って経済を伸ばすというのは、論理が逆転していることになる。
さて政府の成長戦略はどのような意味を持つのだろうか。それは日本経済の成長起爆に役立つのだろうか。率直に言って、疑問である。むしろ今必要なのは、政府の家父長的な指導ではなく、イーロン・マスク(テスラの社長)のような人材が出てきて、日本経済に活をいれることだ。
(参考)
・三品和広、「経営戦略を問い直す」、ちくま新書、2006
・Currie L.,"Implications of an Endogeneous Theory of Growth in Allyn Young's Macroeeconomic Concept of Increasing Returns",History of Political Economy,29:3,1997
・Myrdal G.,Monetary Equilibrium,William Hodge & Company,1939,pp45
・Gordon R.,The Rise and Fall of American Growth,Princeton Univ.Press,2016
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