太田愛氏の「天上の葦」を読む
2018.04.01
太田愛氏は脚本家出身の小説家で、作品としては「幻夏」などが有名だ。今回は人に勧められて「天上の葦」を読んでみた。
話は飛ぶが、われわれは日常感覚として、国はわれわれ国民のことを守ってくれると感じている。そのために外交官が外国と折衝したり、自衛隊が存在する意味もある。この感覚は一般的には、間違いではないが、それが当てはまらないケースもあることをこの本は教えてくれる。
「天上の葦」はスリラー作品である。当方は、国と国民との関係をあまり考えて来なかったので、この本から教えられることが多かった。本の内容を紹介すると、せっかくのスリラーが台無しになるので、それはしない。要するに第二次世界大戦中の国家としての日本と、それに属した国民との間のぶつかり合いを、主人公を通して現時点に投影させたことが、この本の骨組みとなっている。
この本に引用されていた「検証 防空法」を読んでみて、いろいろ考えさせられた。第二次大戦中にアメリカ軍は、日本の大都市をB29で空襲し、大勢の市民が犠牲になったことは記憶に新しい。当方も「これはひどいな」と思っていた。ところが被害が増えた背景には日本側が制定した防空法(1937年制定)の存在がある。この法律は、結果的に「国民に空襲時に逃げてはならず防火活動に従事する」ことを強制した。われわれの現代的感覚からすると、それにしても火が回ったらさっさと逃げればと思うが、そうはいかない事情があったようだ。同書にあるが、青森に空襲があったとき、県知事が「避難する市民に対し、もどらないと配給物資を停止する」と通告した(同書、p12)。当時の食糧事情を考えれば、これでは逃げられまい。
国と国民との関係は、とくに非常時にあっては、なかなか難しい。終戦直前にソ連が満州に侵攻したとき、関東軍は民間人を置き去りにした(半藤氏による)。軍の論理から言えば、本土決戦態勢に備えるための転身ともいえるが、そのとき軍人の家族が優先的に避難したことが後からわかった。それにはさまざまな理由が挙げられているが、実際のところ1945年8月11日の新京駅を離れた列車に乗って避難できた者3.8万人のうち、軍関係約2万人、官関係750人、満鉄関係1.6万であり、一般市民はほとんどいなかったという(当時の新京市に在住する日本人は約14万人)。
橘玲氏のブログにあるが(2018年3月15日)、ドイツの場合は、これとは逆で東部軍が最後までソ連に抵抗して国民の安全を守ろうとして全滅したという。
日本の防空法に戻るが、制定当時の国会で勇気ある質問がなされたことを触れておきたい。1937年の衆議院本会議で、野中務議員は,「防空法で、果たして本当の防空と云うものができるかどうか。・・・かなりの犠牲の大きさを私どもは感じるのであります」と質問している(1937年3月23日)。もちろんこれに対する内務大臣の答弁はおざなりのものだった。
さてこうした問題をどのように考えていったらよいものか。まず問題と向き合ってみることから始める以外ないだろう。
(参考)
太田愛、「天上の葦」、角川書店、2017年
水島朝穂、大前治、「検証 防空法」、法律文化社、2014年
半藤一利、「ソ連が満州に侵攻した夏」、文春文庫、2015年
橘玲、「愛国を謳うドイツのリベラルと愛国を嫌悪する日本のリベラル」、2018年3月15