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”西郷どん”とAI(人工知能)

”西郷どん”とAI(人工知能)

  2018.06.03

 NHKの大河ドラマ”西郷どん”も、奄美大島での愛加那との出会いを通じてだんだん面白味を増している。これは愛加那役の二階堂ふみさんの熱演も大きく寄与していよう。

 

 このドラマに絡めて最近話題になっている、磯田氏の著作を読んでみた(「素顔の西郷隆盛」)。大学の先生が書いただけあって、この本には豊富なエピソードが盛り込んである。しかし、肝心の「西郷さんとはどんな人」という問いにはうまく答えられていない感じがした。

 

 ちょっと場所は忘れたが(おそらく「龍馬が行く」)、司馬遼太郎氏が、「西郷はうまく全体像がとらえられない人物だ」という指摘をされていた。だから西郷を主人公にする小説は書けないという趣旨だったと思う。小説家は、まず主人公の全体像を自分なりに作り上げる。そしてそれに基づいて事実を集め、それを熟成させて一つの小説に仕上げていく。これは他の芸術でも同じだろう。たとえばイタリアの彫刻家ミケランジェロは、「大理石の中にはあらかじめ像が内包されている。彫刻家の仕事はそれを発見すること」といったそうだ(関克久氏のブログより)。つまり小説や彫刻を作るには、まず自分なりのイメージを生み出すことが先なのだ。これに対し、学者は事実を史料から積み上げて、それからさまざまな推測によってイメージを作り出そうとする。この手法は自然科学の実験ではうまくいくかもしれないが、人間やその社会にまつわる問題の分析にはあまり役立たない。

 

 じつは、こうした科学的(といわれる)アプローチに、AI(人工知能)がらみで、疑問が向けられはじめている。単純に言えば、人間の思考とは何か、その場合新たな発見や事実認識とはいかなるものかという問いだ。

 

 これに関して、UCLA(カリフォルニア大学ロスアンジェルス校)で計算機科学と哲学を教える老大家ジューディア・パールが出した本が、AI業界で話題を呼んでいる。彼は現在のディープ・ラーニングを含めたAIのやり方には限界があり、それが人間の知恵に到達するのはまだ先のことだという点を、因果律の問題を中心に据えて、議論を展開している。この本はまだ読み始めで、全体をきちんとつかんではいないが、社会科学の分析や予測に関する基本的な問題点をうまくとらえている感じがする。

 

 筆者はAI(人工知能)の専門家に、何度となく次のような質問をぶつけたが、はっきりした答えは得られなかった。「既存のデータに先験的な構造を与えないで、そこから因果律を導き出すことができるのか」。パールの本は、この問いに一つの答えを出している。若干我田引水になるが、この疑問こそわれわれがe予測を開発した動機となっている。

 

 はじめの”西郷どん”に戻るが、おそらく司馬遼太郎氏の判断は正しかったのだろう。多くの史料を眺めるだけでは、西郷隆盛の実像を組み立てることはできない。逆に西郷のこうした人間像の巨大さが、現在でも多くの人の心をとらえて放さない理由の一つだろう。それは史料を集めたところから実像を描くという学者的アプローチでは導くことはできない。

 

 面白いことに、小説家や彫刻家のやり方、つまりまずイメージを組み立てそれから、それに合う事実を集めて話を組み立てるというのが、人間の頭脳の本質の一つらしい。AI(人工知能)はまだこの壁を越えていない。この点に関しては、ゲイリー・マルクスのディープ・ラーニングに関する批判的考察が参考になる。彼はAIの専門家で、単なる学者にとどまらず、ジオメトリック・インテリジェンスの創始者である。この会社はウーバーに買収された(2016年)。

 

 いつも思うのだが、基本的な視点を持たないと、外国からの新潮流に流されぱなっしになる。ビッグ・データやAIも結構だが、要はまず自らの立ち位置をはっきりさせることから始める必要がある。

 

(参考)

・磯田道史、「素顔の西郷隆盛」、新潮社新書、2018年

・Pearl J.,The Book of Why,Allen Lane,2018

・Marcus G.,"Deep Learning: A Critical Appraisal",arXiv.org

2018/01/02