IT革新とプログラミング
2020.07.11
・私事に渡るが、筆者はエコノミスト兼プログラマとして日々プログラムを書きながら経済予測に携わっている。筆者にとってプログラムとは、思考実験の便利な道具だ。
・長年不思議だったのは、日本のエコノミストがプログラムに対して全く関心を持たないか、冷淡なことだった。彼らもパソコンは使うが、できあいの統計ソフトとデータベースを使って、いわゆる”高度な経済分析”に勤しんでいる。しかし、それは公理主義(formalism)に基づくため、想定範囲内の結果しか得られない。
・あるときこうしたエコノミストと話していて、「プログラムやデータ収集は技官や助手に任せればいいじゃないですか。何で自分でそういった作業をするのですか」と不思議がられたことがある。
・なんで自分でやるかと言えば、それが面白いからだ。リナックスの開発者リーナス・トーパルズが述べていたように、「プログラムは楽しい」からだ。ちょうどピアノ弾きがピアノを使って、新しい楽曲を作るようなものだ。
・しかも最近では、このスタイルが社会科学の研究者にも当たり前の研究手段となりつつある。有名なのは、複雑系の専門家スコット・ページが多様性の強みを見いだすのに、まず簡単なプログラムで仮説をチェックしたことだ。つまり画家が本格的な絵を描く前にデッサンするように、科学者はまず自らの仮説をプログラムを使ってテストするというのが現代風のやり方だ。ここではプログラムは、単なる計算道具ではなく、研究を進めるための貴重な手段となっている。
・日本の場合、社会科学系の研究者は、こうした風潮からはほど遠い。最近中島聡氏の本を読んで、その理由がなんとなくわかるような気がした。
・中島氏は現在シリコンバレー在住で、現役のプログラマーだ。彼は日本の大手IT企業に勤めた経験をもとにして、日本のIT構造を、「ITゼネコン」論と総括している。詳しくは同氏の本を参照してほしいが、要するに「『知識集約産業』として成長すべきだった日本のIT産業を道路工事やビルの建築と同じように『労働集約型産業』として育ててしまった」という(中島氏著作p54)。道理でだれもプログラムに知的興味を持たないわけだ。
・これは日本のIT振興に大きな問題をもたらす。この風土のために、たとえばインテルで4004を開発した嶋氏が日本でちゃんした職を得られなかったり、p2pソフトの先駆けを開発した金子氏が逮捕されてしまう(最高裁で無罪が確定)といった悲劇が生まれる。
・当方が開発中のe予測は、こうした風潮に”無謀にも”逆らおうとしている。これは経済事象に興味を持つ人が、様々な知的実験を行うためのツールとして開発が進められている。
(参考)
・中島聡、「エンジニアとしての生き方」、インプレスジャパン、2011
・スコット・ペイジ、「『多様な意見』はなぜ正しいのか」、水谷敦訳、日経BP、2009
・金子勇、「Winnyの技術」、ASCII、2005年
・リーナス・トーパルズ、デービッド・ダイヤモンド「それがぼくには楽しかったから」、中島洋監訳、風見潤訳、小学館プロダクション、2001
・嶋正利、「マイクロコンピュータの誕生」、岩波書店、1988