2021年を迎えて
2021.01.02
・昨年の年頭所感のタイトルは、「漠然とした不安」だった。その直後にコロナショックが日本を襲い、昨年はコロナに明け、コロナに暮れた一年だった。
・今年はどうなるだろうか。先のことはだれにもわからないが、コロナショックはまだ続きそうだ。オリンピックの開催は、現実的に言って難しいだろう。
・日本の場合、コロナショックは、かろうじて保ってきた現在の統治機構に激震を加え、形はともかく、実際にはそれが役立たないことを世に明らかにした点で、後世に知られるだろう。
・たとえて言えば、老舗酒蔵を原因不明の細菌が襲って、製造中の酒がダメになったようなものだ。この酒蔵は歴史が長く、その名声はよく知られていたが、最近は当主が年を取り、番頭も昔ながらの経営手法に頼って、現状維持路線を続けてきた。
・この酒蔵で原因不明の不良品が発生すると、当主はおろおろするだけで、なすすべもない。番頭は部下をやたらにしかりつけるだけで、対応策を出すこともできない。販売量の急減を受けて、従業員はクビを言い渡されて、途方に暮れる。
・こうしたときに必要なのは、まず原因を究明し、それがたとえば貯蔵施設の不備によるものなら、思い切って設備を一新し、汚染の原因を断つことだろう。そのためには経営陣の一新も必要だ。こうした抜本策を取らずに、やたらに騒ぎまわり、お互いに責任を転嫁するだけでは、何も解決しない。それどころか、ライバルは好機とばかりに市場を奪いに来て、さらに苦境は深まるだろう。
・日本の統治機構は、政治家と官僚と大企業のリーダーからなる。彼らは高齢化し、組織に安住し、今の権益を守るのに精いっぱいで、今回のコロナショックに対応できていない。
・日本は、これまで第二次大戦後から70有余年にわたる平和を享受してきた。これは、まことに幸運なことだったが、その安寧の中で、日本の統治機構は古びるに任されてきた。これを変えるシステム更新コストは後の世代に降りかかってくる。
・最後にもう一度作家の佐々木譲氏の発言を示しておく。これは昨年のブログにも引用させていただいたものだが、現状に対する一矢として今でも有効さを失ってはいない。
「3-4年前から日本という国の”終わり”が見えた感じがしているんです。・・・今や”終末”が現実のものになりつつある。・・・『作家は戦争を止めることはできない。でも社会に異変が起こるとき、いち早くそれを感じ取り、”炭鉱のカナリヤ”として啼くことはできる』(アメリカの作家カート・ヴォネガットの言葉の引用)」
(参考)
・佐々木譲、「書くことは変わり続けること」、オール読物、2019年11月号