相場英雄の”経済学”
2021.05.01
・相場英雄の小説は、経済学者のご託宣よりはるかに面白く、ためになる。
・それは彼が現場からのたたき上げとして、経済記者になり、さらに小説家に転じたという背景を持つからだ。その経験が彼の文章に一種のコクを生み出している。かれは専門学校を出てキーパンチャーとして時事通信に入り、それから記者に成り上がり、日銀担当になったという異例の経歴を持つ。今はやりの有名高校を出て、東大に入り、学者や高級役人になるといった”つまらない”人たちとはわけが違う。いわば大地に立って、現実の経済を見ることができる人だ。
・ここでは彼の近著アンダークラスとEXITを取り上げる。
・アンダーグラスで彼が指摘しているのは、「日本はとっくにお金持ちじゃなくなった」(p343)という事実だ。それを小説の主人公であるベトナムからの研修生に語らせている。「日本は日が昇る国だとベトナムにいる頃思ったね。でもとっくに日が沈んだ国、貧乏人ばかりの国だよ」(p345)。これはわれわれが日々感じている実感だ。
・ちなみにこの小説の題名のアンダークラスとは、サバンナ(これは小説上で世界的な大手ネット通販業者のこと)が顧客分類に使っている基準で、年収300万円以下の階層を指す言葉だそうだ。アンダークラスは収益を生まない最低の客層を意味する。つまりこの小説は日本が国全体としてアンダークラスにむかいつつあることを指摘している。
・次にもう一つの小説EXITに移る。ではなぜ日本がこうした境遇に落ち込んだのか。その原因を金融政策に絞って論じたのがこの小説だ。この小説には、著者が日銀担当記者だった経験が生かされている。タイトルのEXITは、日銀が陥った「ノー・エグジッット」(筆者注:出口なき展望)から取られたものだろう(P247)。
・カギとなるのは2014年10月31日に日銀が決定した「『量的・質的金融緩和』の拡大」だ。これによって日銀は、アベノミクスを支える超金融緩和政策を取ることとなった。当時の議事録をみると、評決は大きく分かれ、5対4で辛うじてこの政策が決定されている。ちなみにこの政策に賛成したのは、黒田総裁、岩田副総裁、中曾副総裁、宮尾審議委員、白井審議委員の5人である。
・この時期にもう一つ問題となるのが、経済学者出身の岩田副総裁の就任だ。彼は就任に際して国会同意を求める場で、津村啓介議員の質問に対し、次のように答えている(衆議院、2013年3月5日)。ちなみに質問者の津村議員は日銀出身。金融政策の専門家。
「日本銀行は、消費者物価の上昇率二%を必ず達成する。その達成責任を全面的に負うという立場に立つ・・・それは当然就任して最初からの二年でございますが、それを達成できないというのは、やはり責任が自分たちにあるというふうに思いますので、その責任の取り方、・・・やはり最高の責任の取り方は、辞職することだというふうに認識はしております」
・その後の経緯は、皆の知るところで、ここで繰り返す必要はないだろう。
・相場英雄の小説を読むと、民間エコノミストだった石橋湛山を思い出す。湛山は、失礼な言い方だがが、大した学歴を持たない。旧制中学には7年も在籍している。にもかかわらず、経済の神髄を理解し、第二次大戦前の困難な時期に、満州放棄論をはじめとする”正論”を、粘り強く展開した。
・日本が再び曲がり角に差し掛かるこの時期に、相場英雄の小説を読めるのは、ひとつの救いともいえる。問題はそれをどう現実の政治や経済に生かすかだ。
(参考)
・相場英雄、アンダークラス、小学館、2020
・〃、EXIT、日経BP、2021
・日本銀行、「『量的・質的金融緩和』の拡大」、2014年10月31日
・衆議院、第183回国会、議院運営委員会、第12号(平成25年3月5日)、2013年