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コロナショックを考える:海堂尊さんの意見

コロナショックを考える:海堂尊さんの意見

  2022.01.30

・作家兼医者の海堂尊氏が、保険診療という目立たない(失礼!)雑誌に、コロナショックのことを書いていた。以下内容を紹介する。

 

 *海堂氏は、政府が実施したコロナ対策は的外れで、一時的に医療崩壊をもたらした。それは衛生学の基本を踏み外したからだという。

 

 *衛生学の基本とは、「疑わしい人を検査し罹患と確定し、患者を隔離する」ことである。

 

 *ところが厚生労働省はPCR検査を抑制した。その理由として、「PCR検査は誤判定がある。検査しすぎれば陰性なのに入院する人が増え、医療崩壊の危険がある」を挙げた。

 

 *これは統計学をちょっとかじった人ならだれでも知っている「第一種の過誤」(病気でもないのに、病気だと判定する)、と「第二種の過誤」(病気なのに、病気でないと判定してしまう)の問題である。両者は相反の関係にある。検査を厳しくすれば、確かに第一種の過誤は増えるが、第二種の過誤は減ることになる。逆もまた成り立つ。

 

 *この問題に対する解は、すでに用意されており、今回のコロナショックの場合には、医師の海堂尊氏が述べるように、検査で陽性判定した人のうち、症状が出ない人は医療機関に来ないよう指導すれば解決したはずだ。

 

・どうも厚生労働省は、2009年の豚インフルエンザの時もこの方針をとり、それを今回も踏襲しただけらしい。また感染数の公表値を抑えたい背景には、オリンピックを何としてもやりたいという政府側の意向があったようだ。

 

・この文章を読んで気になったのは、「なぜテレビでも海堂氏のような意見が報道されないのか」という問題だ。これに関しても、海堂氏は以下のように述べている。政府の感染対策に批判的だった倉持仁医師が、夕方の情報番組に出演したとき、キャスターとアナウンサーが自分たちの感想を話して、問題点をあいまいにし、倉持氏の発言をうまく抑え込んだ、というのだ。これはマイルドな言論封殺だ。こうしてみると、海堂氏がこの問題を地味な雑誌に書いた背景もなんとなく理解できる。

 

・そういえば、海堂氏のベストセラー、「チームバチスタの栄光」はとても面白かった。特にテレビ版で、厚生労働省のなぞの技官白鳥(仲村トオル)とお人よしの精神科医田口(伊藤淳史)の絡みは笑えた。

 

・話は戻るが、海堂氏はコロナを扱った小説「コロナ黙示録」を発表している。その中に書かれていたのが、森友学園問題だ(コロナ黙示録、p294)。この問題は、当時の首相が、「私も妻も一切、この認可あるいは国有地の払い下げにも関係がない、・・・私や妻が関係したということになれば、私は・・・総理大臣も国会議員もやめる」と国会で答弁したことから始まる(2017年2月17日)。

 

・これに関して、海堂氏は、「財務省は、つじつま合わせのため関係文書を改ざんし、その責任をノンキャリアに負わせた」とみている。

 

・「コロナ黙示録」では、自殺したノンキャリア(小説中の名前:赤星哲夫)が「自分の雇い主は国民だ。自分の仕事は国民の負託を受けたものだ」という発言が記されている(同書、p287)。

 

・これで思い出したのがトム・クランシー原作の「今そこにある危機」映画版の一場面だ。ハリソン・フォード演じる主人公(CIA職員)が、上からの圧力をめぐって上司であるCIA副長官、ジェームズ・アール・ジョーンズ,好演)とかわした会話だ。ハリソン・フォードが、大統領側近の意向に反してまで、現地工作を進めるべきかを副長官に聞くシーンがある。これに対し、副長官が、「君の雇い主は誰なのだ、国民ではないか」と答え、ハリソン・フォードも納得して現地に向かうことになる。

 

・森友問題は、まさにこれの逆だ。天下の役所が、首相発言を守るために、筋をたがえたわけだ。これではちょっと困る。一番腹立たしいのは、財務省のキャリア連中で、彼らが真のエリートであれば、当然ノンキャリアを守って、自らが政治圧力の矢面に立つべきだったろう。森友事件は、財務省がエリート官庁であることを自ら放棄したことの象徴といえよう。

 

(参考)

・海堂尊、”日本政府はなぜ、パンデミック防止に失敗したのか”、保険診療、2022年1月

・海堂尊、「コロナ黙示録」、宝島社、2020