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山室真澄さんの「魚はなぜ減った」を読む

山室真澄さんの「魚はなぜ減った」を読む

  2022.02.05

・山室さんの本をタイトルにひかれて読んでみた。すがすがしい印象を持った。

 

・この本のテーマは、島根県宍道湖の魚の減少の原因を、現場感覚で追っていったものだ。普通環境保護の本というと、環境大事の絶叫か、もしくは素人にわかりにくい数式の羅列で、茫然とするものが多いが、この本はどちらにも当てはまらない。

 

・筆者は地理が専門の学者のようだ。この本が地に足の着いたものになっているのは、本人が卒論の時代から宍道湖の環境に興味を持ち、30年にわたって現場でデータをとってきたからだ。

 

・この本のテーマは、宍道湖でうなぎやワカサギが取れなくなった原因の探求であり、山室さんの仮説は、水田でネオニコチノイド系の殺虫剤が使われ始めたからだという。

 

・たしかにネオニコチノイドが使われ始めた1993年から宍道湖の動物プランクトンの現存量は激減している。ではなぜ、さかなが減ったか。いろいろな仮説が可能だ。

 

・仮説1は、「貧栄養化」だ。つまり下水処理が進んだため、さかなのエサが減ったというものだ。山室さんは1993年前後で宍道湖のCOD(化学的酸素要求量)が変化していないこと、また宍道湖の底土の有機物濃度が1995年以降も減っていないことから、この仮説を棄却する。

 

・仮説2は、「湖岸改変や農地整備による」というものだ。しかしこの仮説もワカサギとウナギは減っているものの、シラウオは減っていないことから棄却される。

 

・仮説3は、「魚食性外来魚(筆者注:コクチバスなど)の影響だ」、しかし宍道湖は汽水湖(海水と淡水が入り混じる)なので、淡水性の魚食性外来魚が影響するとは考えられず、この仮説も棄却される。

 

・仮説4は、「1994年の異常気象(異常高温と少雨)による」というものだ。しかしその後もワカサギは減ったままなので、この仮説も棄却される。

 

・こうして山室さんは、ネオニコチノイド系殺虫剤原因説を主張する。この問題が厄介なのは、この殺虫剤が「昆虫以外の動物には影響が少ない」として導入されたことだ。したがって、ネオニコチノイドの導入で、死んだ魚が湖に浮かぶことはなかった。そうではなく魚のエサ(広い意味での昆虫類に属す)がなくなり、それによって魚が減っていったからだ。つまり原因と結果の関係が見にくくなっている。

 

・以上みたように、本書は、現場に立って、さかなのいなくなった原因に関する様々な対立仮説を、実績データによって否定するという、いわば探偵がさまざまな仮説を立て、犯人を追い詰めていくという展開となっている。そして最後に残ったのがネオニコチノイド系殺虫剤というわけだ。

 

・この本を読んで思い出したのは、オゾンホールの発見をめぐるドラマだ。地上の生態系は、成層圏にあるオゾン層が太陽からの強い紫外線を防いでくれるため、守られている。オゾンホールとは、このオゾン層が薄くなり生物に悪影響を及ぼす現象のことだ。

 

・オゾン層が、クーラーや冷蔵庫に使われていたフロン(今は使われていない)によって破壊される可能性を見出したのはアメリカの化学者モリナとローランドだった(Mario Molina,Sherwood Rowland,1974)。ところが人工衛星によるデータでは、オゾン層破壊のデータは見出されなかった。

 

・1985年に事情は一変する。英国の化学者ファーランド等は、南極大陸で、地上からゾンデを挙げてオゾン層の観測を続け、上空のオゾンが春に減少することを見出した。これは人工衛星の観測データと矛盾する。そこで人工衛星のデータを再検証したところ、オゾン層の減少は、”異常値”として棄却されていたことが分かった(Ozone Diplomacy,p18)。この発見により、オゾン層保護に関するモントリオール議定書が締結されることとなった(1987年)。

 

・山室さんの宍道湖の観測も、ファーランド等の南極の観測も、現場の観測に基づいている。ファーランド等は、自分たちの発見が人工衛星の結果と違うため、何年も観測を続け、観測結果に自信が持ててから、論文にしたという。

 

・世はビッグデータの時代だ。AIとビッグデータさえあれば、なんでもわかるという風潮がみなぎっている。筆者もプログラマーなので、AIのすごみは身に染みている。しかし山室さんやファーランドの研究は、それを補うものとして、人間の現場に沿った地道な観測が大事であることを教えてくれる。

 

(参考)

・山室真澄、「魚はなぜ減った?見えない犯人を追う」、つり人社、2022

・Richard Elliot Benedick,Ozon Diplomacy,Harvard Univ. Press,1991

・Farman J.C.,Gardiner B.G.,Shanklon,"Large Losses of Total ozone in Antarctica Reveal Seasonal CIOx/NOx Interaction",Nature,315.207-210