台湾のひまわり(太陽花)運動について
2022.06.11
・台湾のディジタル担当大臣オードリー・タンさんは日本でもすでに有名人だ。ここでは、彼が政府の枢要なポストに就く契機となったひまわり運動について触れることにする。
・ひまわり運動は、2014年3月18日に台湾の立法院で、中台のサービス分野の市場開放を目指す「サービス貿易協定」締結に関して強行採決が行われたことに学生と社会運動家が抗議し、立法院を24日にわたって占拠した運動のことだ。
・今回はこの運動の背景と経過を述べた港千尋氏の本に頼ることにした。
・この騒動のきっかけは、「サービス貿易協定」に関する強行採決だ。ただもう一つ見逃せないこととして、馬英九総統が王金平立法院院長に対し、盗聴をもとにした情報で立法院の辞任を迫った事件がある(2013年9月)。辞任を拒否した王金平氏に対し国民党は党籍はく奪という暴挙に出た。なおこの党籍はく奪に関しては、地裁で論議が続けられ、一審の判決は院長の党員資格を認めるものだったという(港本、p19)。
・これが議場を占拠した学生に対し、王金平院長が最後まで理解を示した背景のようだ。
・港氏はこの革命の特徴を、「犠牲者をひとりも出すことなく、学生が国会を3週間以上にわたって占拠した」(同書、p26)ところに求める。こうした例は歴史的にみてもまれだ。そしてこの革命の特徴を、実験性、予測不能性、象徴性ととらえる(p60)。
・もうひとつ触れておかねばならないのは、台湾における学生運動の系譜だ。野百合運動(1990年)、ススキの花の学生運動(1997年)、アマリリス運動(2004年)、野イチゴ運動(2008年)などがひまわり運動の先駆けといえる(同書、p218)。
・ひまわり運動が問いただした問題として、代表民主主義の機能不全があげられる(p82)。この運動に参加した学生は代表民主主義を「黒箱」としている。つまり、「情報が与えられているようで与えられていない、政府が答えを出しているようで出していない。そうした二重の状況が『黒箱』の正体である」(p90)。
・学生は「反黒箱服貿」の立場から、「代表制の限界を明らかにし、別の政治の作り方を考えること、そのための創意工夫」(p91)を行ったという。これがひまわり運動の本質だろう。
・学生たちが占拠した立法院は、内部で閉じておらず、最初から外部へと開かれており、積極的な広報活動と絶え間のない(市民からの、筆者注)支援物資の流入、衛生や法的な擁護体制の完備があったという。これによって「政府によって審議の外に置かれた者たち、発言する権利を持たなかった者たちすべてに、意見を表明する機会を与えた」。(p92)
・ひまわり運動は、成熟国家においても、IT革新の力を使うことで、民主主義が再活性化される可能性を示したものと言える。そして成果の一つがタンさんの政治への進出だ。港氏の言葉を借りれば、「群衆は善を為す」ということになる。
・さて日本の場合はどうだろうか。学生さんが、「親ガチャ」などと言って寝そべっている場合ではないだろう。
(参考)
・港千尋、「革命のつくり方」、インスクリプト、2014
・アイリス・チュウ、鄭仲嵐、「オードリー・タン:天才IT相7つの顔」、文芸春秋、2020
・オードリー・タン、「まだ誰も見たことのない『未来』の話をしよう」、近藤弥生子、SB新書、2022