IT革新とオープンソースの役割
2022.07.23
・政治学者ナディア・エグーバル(Nadia Eghbal)の書いた「道路と橋:我々のディジタル・インフラの背後にある見えない労働」はなかなか興味深い。
・以下内容を要約する。
*現代社会はさまざまなソフトが動くことで成り立っている。
*ソフトのインフラ(基礎部分)をなすのが、オープン・ソフトだ。これは個人が自分の興味で作り上げ、無料でだれでも使えるのが特徴。
*オープン・ソフトはしたがって現代社会のインフラといえる。これは道路や橋が工業社会のインフラ(誰でもが無料で利用でき、社会の生産性の基盤となる)であるのと同じ。
*オープンソフトの問題は、財政基盤や人的サポートが極めて貧弱であること。ただし個人の創意、自発的な組織運営などを考えると、大企業や政府の援助という既存の方策ではあまりうまくいかない。
・以下は筆者の読後感。筆者はプログラマーだが、たしかにソフト開発において各種のオープン・ソフトは不可欠だ。たとえば今使っているコンパイラ(プログラムのソースコードを機械語に変換するソフト)、SQL(データベース言語)、表示系としてのパイソンやダッシュ、どれをとってもオープン・ソフトだ。
・またプログラム作成ツールとして、Visual StudioやVisual Studio Code(ともにマイクロソフト社提供)を使っているが、これも無料だ(community licence)。
・またプログラム開発でわからないところが出てきたら、スタック・オーバーフロー(stack overflow)に助けてもらう。コードの共有化にはギットハブ(git hub)を使う。これらもフリーだ。
・こうしてみるとナディア・エグーバルの指摘は、既存のIT開発論の盲点をついているといえる。たとえばエコノミストがイノベーションを論じる時には、経済学的ロジックの上で考える。つまり開発者は開発コストとメリット(収入?)を調べ上げ、両者の交わるところまでイノベーション投資が行わるとみなす。それが企業などの生産性向上に結び付くというロジックだ。
・しかしIT社会においては、このロジックは破綻する。例で説明しよう。農家が畑で作物を作るとき、まず土地を耕し、たい肥をすきこむことで、地味を豊かにする。その上で、作物を育て、それが製品として消費者にわたる。オープン・ソースはこの土地を耕す部分にあたる。目には見えないが、豊かな収穫の実現に不可欠な作業だ。そこで作物を育てる役割を果たすのは、たとえばGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)だ。消費者の目には、作物は目に入っても、地味を豊かにする部分は見えてこない。しかし実際には、IT社会の豊かさを支えているのは、畑の基礎的整備、つまりオープンソースということになる。これは、プログラムを書いたことのないエコノミストの盲点だ。
・「共有地の悲劇」論を当てはめようとする人もいるが、これも違うだろう。共有地の場合、収穫物の採取量を価格で制御すれば済むが、オープンソフトの場合はそうはいかない。個人の創意とパソコン、ネット環境さえあれば、だれでもが参入できる。それを皆が便利だと思えば、皆が使って、開発者はちょっとうれしくなるという構造だからだ。
・IT革新に関して、日本で一番理解されていないのが、この点だろう。プログラマーの中島聡氏が何度も指摘するように、ここに日本型ITの基本問題が存在する。
・日本の場合は、上の2層(畑の開墾、作物を育てる)の次にさらに商社が存在する(中島氏の言葉を使えばITゼネコン)。そのプロセスは以下の通りだ(中島本、p176、一部を改変)。
「①政府から受注したITゼネコンには自らソフトを書くひとがおらず・・・仕様書を書いて下請けに丸投げ、
②下請けは大学でちゃんとソフトウェアの勉強をしていない文系の派遣社員を低賃金で雇い、劣悪な労働環境でコードを書かせる、
③書かれたコードをレビューする習慣やシステムが存在しない、
・・・
④ITゼネコンには役所からの天下りが下請けのソフト会社にはITゼネコンの天下りが役員等で働き、ほとんど仕事をせずに「口利き」だけをして高給をもらっている。
・これでは日本でIT革新が進むわけはない。
・中島氏は、以上を踏まえて政府系のソフト開発はすべてオープンソースの形で行うべしと主張されている(中島本、p177)。
・さて道は遠い。筆者らは、経済予測に焦点を絞り(e予測)プログラムを開発している。計算系はともかくとして、表示系は、オープン化を目指している。現在開発中だが、本年末ごろには、その一部を公開できるだろう。
(参考)
・Nadia Eghbal,"Roads and Bridges:The Unseen Labor Behind Our Digital Infrastructure",Ford Foundation,2016
・中島聡、「ニュー・エリートの時代」、KADOKAWA,2021