はらだみずきの「海の見える家」を読む
2022.11.26
・この9月、久しぶりに海外出張に行った。海外出張に持っていく本は、意識して普段読まないタイプを選んでいる。今回選んだのが、はらだみずきの「会社員、夢を追う」だった。この本は、就活に悩む大学生が紙の代理店に勤める話だ。読んでみると、従来知っている本のトーンとはやや異なり、なんとなく著者とその作品が気になった。
・そこで、この著者の「海の見える家」を読んでみた。読んでみてよかったのは、筆者が今考えていることに関して、一つのヒントをもらえたからだ。
・以下それを説明する。話は飛ぶが、英国のエコノミスト、サスキンドの”A World without Work”(邦訳あり)を読んで、IT時代の仕事のあり方に関して考えさせられることが多かった。よく引用されるボールドウィンの著作、「Globotics」も同趣旨だが、要するにIT時代には、”普通の人”の仕事はなくなるのだ。
・これは産業革命に駆動された工業化時代とは大違いだ。そこではフォード・システムに見られるように、”普通の人”が工場で働き、そこで得た賃金で車を買うという良循環が発生する。つまり工業化時代には、経済成長と”普通の人”の雇用が比例する。
・しかしIT時代には、これが一転する。AIが進むことで、大体の仕事はコンピュータで代替され、"普通の人"の仕事は奪われてしまう。サスキンドは、雇用対策としてベーシック・インカムの一種を提案しているが(BCI)、あまり説得性はない。石油が出るアラスカ州のような場合は、別にして、財源その他でうまくいくとは思えないからだ。
・はらだみずきの「海の見える家」に戻る。主人公はさえない青年だ(名前は文哉)。学校を出てやっと就職したものの、企業のブラック性に嫌気がさしてすぐやめてしまう。
・そんな矢先、長年別居していた父の訃報が届く。父は引退後、房総の先に家を建てて住んでいたらしい。文哉はそれを金に換えるため、房総半島の先端まで行くことにする。
・そこで父の知り合いだったという地元に住む和海と知り合う。金のない文哉は和海の助けで、海から貝やカニをとり、庭の荒れ果てた畑から野菜を収穫し、それを食べて日々をしのぐ。
・文哉は、亡父が他人の別荘を管理することで生計を立てていたことを知り、それを引き継ぐことにする。また別荘族の雑用も引き受けることにする。これにより、彼は年間収入100万円弱で、房総での生活を営むようになる。
・この本で、とくに印象に残ったシーンは、文哉が初めてサーフィンに挑戦したときの話だ。当方も海でウィンド・サーフィンをやっていたから、ここでの文章には既視感がある。つまり著者のはらだみずき氏は、おそらくサーフィンも経験されていることだろう。
・要するにIT時代になっても、家があり(日本では空き家があふれている)、田舎に住み、肩の力さえ抜けば、それなりに生きていけることを、この本は示している。
・この本の解説で、沢田史郎氏が、「(主人公は)冴えない彼らだからこそ、人とは違った幸せを見つけることができた」と指摘していることが、この本のテーマをうまく要約している。
・IT時代になって、本屋も用品店も急速に消えていった。いずれ”普通の人”の仕事もそうなる。それでも人々の営みは続く。「海の見える家」はその方向に一つのヒントを与えている。
(参考)
・はらだみずき、「海の見える家」、小学館、2020
・同、「会社員、夢を追う」、中央公論新社、2022
・Daniel Susskind,A World without Work",Metropolitan Books,2020
「WORLD WITHOUT WORK―AI時代の新「大きな政府」論」
上原裕美子訳、みすず、2022
・リチャード・ボールドウィン、「Globotics」、高遠裕子訳、日本経済新聞社、2019