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スミルの「世界の現状はどうなっているか」(How the World really works)を読む

スミルの「世界の現状はどうなっているか」(How the World really works)を読む

  2024.03.31

 

・この本の書評を眺めていたら、「なぜこの本の日本語訳がでないのか、不思議だ」というコメントがあった。全く同感だ。本書は、科学者による現代文明のわかりやすい解説書だ。岩波新書や講談社現代新書あたりで出ていてもおかしくない。ちなみに英語版は、ペンギンのペーパーブックだ。マイクロソフト創始者のビルゲイツが、「この著者の本以上に待たれている本はない。彼は真の博識家だ(polymath)」と書評しているが、あながちお世辞とは言えない。実際、この本の存在を知ったのも、AI専門家との会話からだ。つまり本書は欧米AI専門家の必読書の一つとなっている。

 

・その博識ぶりの一端を示せば、17世紀から18世紀にかけて、オランダの東インド会社がバタビア経由で長崎と交易したが、その内容は以下の通り。

 

 *船の総数 1,450隻、大きさ700-1,000トン。

 *オランダからバタビアまでの所要日数238日、船の平均速度4.7キロ/時(人の歩行スピード程度)。

 *それに従事した人数は約100万人(年あたり5,000人、そのうち2割が航海途中で死亡)(同書、p108-109)。

 

・この本で扱うすべての問題がこの詳しさで論じられている。本のサブタイトルが、「我々の過去、現在、将来に関する科学者のガイド」とあるが、うなづける。

 

・いくつか興味をひかれた点を記しておく。

 

①本書では、近代文明を4つの物質(セメント、鉄鋼、プラスティック、アンモニア)からとらえている。それがどのように我々の生活や社会に関わったかを詳しく述べ、その背景に化石燃料の大量消費が存在したことを示している。よく脱化石燃料などと簡単に言うが、この文明構造を基本的に変えない限り、それは難しい。

 

②温暖化問題に関する指摘が鋭い。

 

「(温暖化問題が認識されるようになってから:筆者注)1989年から2019年の間に世界の温暖化ガス排出量は65%増加した。アメリカ、日本、EUのような豊かな社会は一人当りエネ消費を約4%減らしたが、他方で、インドや中国のそれは4倍になった」(同書、p191)。つまり温暖化問題が認識された後も温暖化ガスの排出量増加は止まっていない。

 

・これについてふれておく。この本の指摘は正しい。温暖化モデルで何が間違ったかというと、成長の雁行理論(赤松要、1935年)が入っていないことだ。たとえばノードハウスの温暖化モデルは、温暖化ガス排出制約の下で最適成長経路を求めるものだ。詳しい議論は省くが、これは基本的にクープマンスモデルの応用に過ぎない。この場合には上に述べたような、途上国の成長爆発可能性などは基本的に入ってこない。すべての国が緩やかな成長経路をたどることが暗黙のうちに想定されているからだ。

 

・問題は、今の温暖化モデルの多くが、スミルの指摘にもかかわらず、相変わらず最適成長論型になっていることだ(余計なことだが、この業績でノードハウスはノーベル賞を受賞した)。またそれらのモデルではスミルの指摘するような基本4物質と文明発展の関係もうまくとらえられていない。

 

・ということで、以下は筆者の感想。

 

 *この本の弱点は、IT革新に疎い(”失礼”)ことだ。筆者はIT革新による社会構造の変化が、スミルの言う4物資を基盤とした現代文明を突き崩す可能性を持つと考えている。筆者らは今そのような形で温暖化モデルを開発している。完成次第、諸氏の批判を仰ぎたいと考えている。

 

・スミルの言うように、われわれはテクノオプティミスト(技術万能主義者)になってもいけないし、かといってカタストロフィスト(破綻予言者)になってもいけない(同書、p212)。現実を科学的知識(当方の場合は、プログラミング)を用いて冷静に分析していくことが大事だろう。その場合には、スミルのような科学的文明論が下敷きになっていなければならない。今マルクスが時々振り返って見られるのも、こうした反省からだろう。

 

(参考)

・Vaclav Smil,How the World really works,Penguin Books,2022

・W.ノードハウス、「地球温暖化の経済学」、室田・山下・高瀬訳、東洋経済、2002