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岡田啓介の事績

岡田啓介の事績

 2025.02.22

・岡田啓介と言っても、今の人はほとんど知らないだろう。昭和史に詳しい人だったら、「そういえば二・二六事件(昭和11年)で陸軍軍人の襲撃に会いながら、奇跡的に助かった元首相か」と思い出すかもしれない。

 

・彼に興味を持ったのは、吉松安弘の「東条英機暗殺の夏」読んでからだ。この本は、太平洋戦争で日本がサイパン陥落という絶対国防圏を破られた時(昭和19年)、戦争終結のため、東条英機首相を退陣に追い込んだ人たちの物語だ。これは命がけだった。なぜなら東条首相は、総理大臣兼軍需大臣兼陸軍参謀総長で絶対権力を握っており、しかも反対勢力には憲兵隊を差し向けて力づくで抑え込んだからだ。

 

・そこで登場するのが、岡田啓介だ。彼は倒閣運動の先頭に立つが、東条首相に呼ばれて、(そのような動きは)「おつつしみにないと、お困りになるような結果をみますよ」などと脅される(参考文献[1]、p271)。それでも倒閣運動をやめず、ついに東条首相を退陣に追い込んだ。

 

・これによって日本は終戦への道を一歩切り開いた。そうでなければ、陸軍は本土を米軍に取られても、天皇を満州に奉戴し、さらに戦争を続ける構想を具体化しようとしていたからだ。

 

・この岡田啓介は、個人としても面白い人物だ。以下参考文献[1]から引用。

 

 「岡田の家は新宿角筈の『二幸』裏にあった。車がやっと入る狭い裏通りに面した、これが元総理大臣海軍大将の家かと疑うような平屋建てで、門前には小さな商店が並び、物が欠乏する前は八百屋や豆腐屋の張り上げる声が岡田の座敷までとびこんでいた。早くに夫人を亡くした岡田は腰の曲がった下働きの婆さんを住み込ませ、ここで禅坊主のようにバンカラな暮らしをしていた」(p60)。

 

・首相就任時(昭和9年)のエピソードも有名だ。「内閣の親任式が行われたのは7月8日。参内するのにフロックコートが必要だが、あいにく冬物しかない。暑いのは我慢するとして、肝心のシルクハットがなかった。迫水久恒(筆者注:娘婿)が持っていたので、それを借り、・・・かぶったところ、迫水の頭が大きすぎたためシルクハットはすっぽりと耳までかぶってしまった。これはいかんと、啓介は手で程よいところまで支えた。新聞にはこの写真が載った」(参考文献[2],p243)。

 

・このひょうひょうとした貧乏爺さんが東条首相を退陣に追い込んだというと、ちょっと信じがたいが思いもするが、吉田茂は彼のことを、「狸も狸、大狸だ。しかし国民を思う狸である」と評している(参考文献[2],p216)。大した人物だったのだろう。

 

・太平洋戦争の終結に関しては、この岡田啓介と終戦時の首相鈴木貫太郎を抜きにして語れない。ちなみに鈴木は海軍兵学校で岡田の一期上(14期)。海軍というと、阿川弘之の著作で、日独伊3国同盟に反対した米内光政・山本五十六・井上成美の3コンビが有名だが、ここに記した岡田と鈴木が終戦に果たした役割も忘れることはできない。

 

・さて目を今に戻す。現代は1930年代の再来ともいわれている。この難しい時期に岡田の役割を担う人物がいるかどうか、やや心もとない。

(参考)

[1]吉松安弘、「東条英機暗殺の夏」、新潮文庫、1989

[2]山田邦紀、「岡田啓介」、現代書館、2018