記者クラブの存在意義?
2025.03.29
・週刊ポストに長期連載されている井沢元彦さんの「逆説の日本史」は、近代史の盲点を突いておりなかなか面白い。最近号では一転して現代日本の記者クラブ制の問題点を指摘してた。
・その論旨は以下の通り。
*日本では新聞を含めたマスコミ機関が主要官庁・・・に記者クラブを置き(官庁は都心の一等地にあるが、記者クラブ側は家賃などは一切払っていない)、記者を常駐させて官僚からの情報を独占的に「いただいている」。
*ここに入れるのは「一流マスコミ」だけであり、週刊誌やフリーランサーの記者などは入れない。だから官僚はマスコミを洗脳したり誘導したりできる。
・この論旨には全く賛成だが、「まあ日本の現状ではあまり変革は望めないかな」というのが筆者の感じだった。しかしちょっと時間をおいて考えてみたら、別の角度から”答え”が見え始めた。
・それに入るには、ちょっと前置きが必要だ。それは筆者の情報収集のやり方だ。当方は日本の新聞は経済紙のみを取っているが、それをチェックするのは週末で、ちょっと拾い読みをするだけ。あとは新聞回収袋行きとなる。
・では毎日何を読むかと言えば、ウオールストリートジャーナルとフィナンシャルタイムズ紙だ。この両方は隅から隅まで読み込み、必要な時にはそこからウェブに飛んで、元資料を当たっている。ちなみに最近はフィナンシャルタイムズ紙も、日本語翻訳機能を使えば、日本語で読めるので便利だ。それ以外にもさまざまな海外メディアを利用するが、商売上IT関係が多く、一般的ではないので省略する。
・つまり筆者にとっては、日本のマスコミはすでに視聴の対象から外れており、そのニュースソースがどこだろうと関係ないのだ。その理由は、①海外関係のニュースは遅く、論点が古臭い、②国内関係のニュースは、日本が残念ながら世界に占める位置が低下しているため、当方にとってあまり知る価値がない、からだ。
・つまりここで言いたいのは、日本のマスコミが記者クラブ制度などに安住して、惰眠をむさぼっている間に、世界情勢はIT革新を基軸として大きく変わり、誰もが日本の新聞やテレビを必要としなくなってきたという事実だ。実際新聞の発行部数は大幅に落ちているという。またテレビも、筆者はもっぱらネットフリックスを利用しているが、それを見る人は減っているようだ。
・これは単に日本のマスコミだけでなく、日本企業の在り方自体にも通じることだろう。現状に安住し、それに適した人たちが偉くなる組織は、結果的に衰退の道をたどる。日本のマスコミはその一例に過ぎない。話は初めに戻るが、記者クラブが存続しようとしまいと、すでに日本のマスコミの果たす役割は終わりつつあるのではないか。ではそのギャップを埋めるものはなんだろうか。
(参考文献)
・井沢元彦、”逆説の日本史”、1447回、週刊ポスト、2025年3月21日号
・魚住昭、「国家とメディア」、ちくま文庫、2006
・阿武野勝彦、「さようならテレビ」、平凡社、2021